会社を辞めて大学院進学を志した私。女子会社員の薄給といえども、毎月きまって支払われる給料はかけがえのない収入だった。
にもかかわらず、最も現実的で、かつ、最大の不安と思われる〝大学院進学時の金銭的不安〟に揺らぎつつ、大学院生をしています。志を貫いたものの……この先、私の人生はどうなるんだろう? そんなことに頭をもたげる時、いつも浮かぶ考えが〝結婚〟なのです。
そう、結婚して専業主婦になれば、経済的精神的不安からは解放されるんじゃないか? と、他者依存している今日この頃です。
――クリスマスの数日前、会社にいた時の先輩から
「今度のクリスマス、俺とK(別の男性先輩)のどっちと過ごしたい?」とメールが来た。
イヤー…答えに詰まりました。K先輩というのは、推定年齢アラサーだが恋愛ニートっぽいオトコ。客観的に恋愛経験はゼロじゃないか? と察してしまうような人だ。
ソリャさ、二者択一だったら、こんな私にメールしてくれた人を選ぶのだろうけど、「クリスマスを一緒に過ごしたいか」と聞かれたら、ぶっちゃけノーだなって思う。でも、これを聞いてきた先輩も、私とクリスマスを過ごしたいっていうより、「自分が選ばれた」という事実が欲しいという、自己満足のためだけの気がするんですけどね。だって私が彼を選ぶってことは、まずないということは十分わかっているはずだから。
「どっちもありえない」というのが正直な答えだけど、今後の人間関係も考えて(一応、その先輩とは仲が良いのです)、適当にお茶を濁していました。
女子友の中には婚活に励んでいる人も少なくない。それで、自衛隊パーティーいわゆるJ婚なんて俗語を持ち出してきて色々おしえてくれるんだけど、12月に自衛隊員と婚活パーティー…? 濃厚な婚活ですねえ……。
私にはそこまでのバイタリティーが沸いてこないのが現状。もっとも、わたしはどこにでもいる大学院生にカテゴライズされるから、冒頭で書いたように自分の人生を建設的に描くなら、今のタイミングで友だちのように婚活はじめておいて損はないことは承知しているのですが。だからといって、誰でも良いから次々に恋のきっかけ作りに励むのはどうも奥手に考えてしまうんですよね。こうして、1度のコンパにあれこれ詮索してしまう私に対して、友だちはこんな言葉を当ててきます。
「クリスマスだから…にこだわるのもいいけど、結局、365分の1日に過ぎない」
ほんと、言い得て妙ですね。
まー、こんなことをやっていたら、結婚適齢期を逃して、同時に出産適齢期も通り過ぎてしまい、ついでに…世の中的に晩婚だからねーとか、時代背景を理由に自己肯定しつつ時間ばかりが過ぎてゆくのなら、女として負け犬真っしぐら? なんて思わなくもありません。
先日、フラッと恋愛本を立ち読みしたら――
「ふだんもてない女ほど、ちょっともてたら自慢したがる」
のだそうです。クリスマスを一緒に過ごす? 的なメールをもらった私は誰にと言うわけでもなくブログで自慢しているような?
ともかく、クリスマスをひとりで過ごすことの孤独感は誰しも共通の心理なんだなあと思う。ひょっとして、婚活市場ってこういう季節的需給にも敏感に注力しているのかしら? と余計なことを考えてしまうのでした。